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1988年9月 サラリーマン生活の終了


1988年4月、新日鐵グループの再編があり、社名と勤務地が変更になった。勤務地が大分製鉄所から大分市春日町ソフトパークになったため通勤負担が大きくなる。それと同時に社内の体制もかわってしまいモチベーションが低下した。その頃、COARAで知り合った東京のシステム会社との御縁で映像音響制御のシステムに興味をもった。次の会社「株式会社アクシアム」を見学して転職を決断した。父親の御縁を辿って入社した新日鐵の退職に際し、いくつかの感情論が壁となって立ちはだかったがそれを受け入れること無く、辞表を提出した。

1988年9月、新たな生活をするために、ソウルオリンピックの開会式を大分空港で見て、飛び立った。 東京では、セブンイレブン1号店の近く(豊洲)に住み、株式会社アクシアムの事業所は新富町だった。 初めての東京暮らしに浮かれ、銀座を隅々まで歩き回った。 同月下旬、研修でグアムに初海外旅行に行き、自分用にTISSOTの腕時計を買う。いまでも使っている。 仕事は、電通関連会社が担当する音響映像制御の実行部隊であり、博物館・博覧会・コンサートなどで使われる機器の制御や画面作りが任務である。当時は博覧会ブームで全国でパビリオン建設があったが、広島海と島の博覧会では現地滞在して機器を製作した。 現存する施設では、横浜桜木町「横浜マリタイムミュージアム」の映像展示やジオラマ制御を担当した。